相手はこうするもんだあ!

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仏陀の説と脳科学


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こういう時には、相手はこうするもんだあ!・・・
これが崩れたのは、何時の頃からか?

思い出すのは、駅への出迎え。
徹夜のまま、東北の旅行から帰るAさんを、鈴鹿駅に迎えに行って
連絡が取れず二時間ぐらい待った例
会えず部屋に帰ったらノホホン?とお茶を飲んでた。

先日は、オーストラリヤから帰るBさんを
夜の9時に白子駅に迎えに行く
予定で待機していたが、
連絡なく、翌日家の前を通ったら、庭の草花の手入れをしていた。

ここで暮らしていると「ほうれんそう」
①「ほ」報告②れん「連絡」③そう「相談」・・が
当たり前の文明で、身についたものが、いたるところで(裏切られる?)

そして想定外?が、起きても、感情が波打たなくなっている自分の状態がある。

当初、「自分が思う事なんだ!!!」・・と
大脳前頭葉(新しい人間の脳の活動)で
学習して言い聞かせて、努力していた時は、一度腹を立ててから
頑張って、思いなおす●修行時代

シラベて行くうちに、(実際そうなんだなぁー)
と●理解納得・・時期

先日のケースでは、そう成っていた。

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11月22日のサロンでは、プロセス・・として下記の言葉を見た。

①「人間の考えであるとの自覚」
②「事実実際は(どうか)」
③「本来・本質・本当は(どうか)」


最近、見たお釈迦さんの見解(2000年前)
と最新の脳外科医の研究成果の対談を、テレビで見た。
※本もあるが4800円と高すぎるのと、読者レビーがあった
 用語が難解すぎて、意味不明。との事。
タダでさえ、読書が苦痛な状態なので、生半可のテレビ情報で
自分の体験から思うのは・・。

「本質的なものを見出す・・」ワタシの考える・シラベル・頭の使い方を
便宜的に二つに分けてみる。

◎(人間の新しい脳)
「識」・・主に前頭葉を使って考えるのと、

◎(人間の古い脳)
「受」・・・視床下部と脳幹や
「色」・・知覚領域・・で
日常の行動:状態を見てみる・・・知能の働かせ方があるようだ。


※釈迦の言葉では「識」「行」「色」「想」「受」と分けられてるが
 脳外科では、視床下部・・とか、働きの場所を特定している?


5年以上前の鈴鹿駅で、振られた自分の状態と
今回の白子駅での研究体験・・・

現れた現象として、異なってる。
①②③・・と分析理解しなくても
そうなってればOKなんだろうが・

ここでは、そうなっている!頭では
他では、そうならない。化けの皮(付け焼刃は剥げる。