母の死

母の死

 

「六道輪廻」が見えるか?

「金」と、薄っぺらな道徳感情か?

 

昨日の「真爺コナン」のブログに掲載した写真の仏壇、

保持するには、それなりの空間がいる。

そして、整備費も含めて、かなりの金が要る。

Aさんのように、位牌も戒名も葬式もいらない。

火葬代金だけ払い、後は、鈴鹿川に橋の上から蒔いてくれ。

畑でもいい。・・そんなら金も要らんし仏壇も要らんな。

野垂れ死に思想?に頭が下がる。

 

俺は、鈴鹿と大阪に生活スペースがあり、この仏壇を保持するには、

この名古屋の家の存続が条件になる・・と思った。仏壇が大きい。

 

住居経費(固定資産税、光熱費やインターネット代金、草刈他・・)を

三箇所払うのは、無駄と浮かんでくる。

 

●無駄・・とは、金のこと

 

保持したいのは、仏壇でなく、先祖の弔い・・。

言葉を変えるなら、広い意味では

 

『・・様々な人・モノ・・と繋がっている』。。俺の人生観・・の保持

 

 

それを経費で、金で考え、もう俺の代で

処分しようとする。世も末だな。

 

母が死んでいく姿、それは醜いものではない。

愛おしいモノではないかもしれないが・・事実だ。

忌み嫌うものでもなく、見たくないモノでもない。

 

正常な『情』が、金や今の世の中で形成された美醜『似非感情』で

判定され、俺は、行為しようとする。

 

イヤダネェ・・・。さて、どうするか?