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 母のこの世を終える過程で、3人の涙に触れた。

特に病室を見舞ったAさんが、部屋を出たあと

涙する(心のサマ)は・・今、思えば、

ありがたい母の見送りになったと、思う。

 

母は冷たい子供を育てた。。人情の人というより、計算の人。

100歩譲って、よく言えば「計算高い人」に、育つ

子育ち環境だったのか?

 

人情よりも、心の育ちよりも

「キチンとチャント」・・を、要求されたように思う。

 

僕自身は、今回の母の死で、哀しくて

涙することは、無かったと思う。

 

早く死ね。。とは、思っていなかった。

喪服の用意も、やらなかったし。節税対策も、中途半端になった。

これは、まだ、生きていて欲しいという・・気持ちだったと思う。

 

飲み込みが困難になっても、食べさせ方?食べやすいもの・・色々

工夫した。咳き込むようになって、諦めたが。。

 

胃瘻をしてでも、生かしたかった。かもしれない。

政府の老人病院経費削除の、宣伝に乗って、

一部の医者の思い込み、洗脳に、乗ったかもしれない。

 

緩和病棟を選んだのは、母の死なせ方。。をそうしたんだ。

・・もう少し、生きてて欲しかった。。と思う。年内は・・。

 

 

(涙の有無・・の話に戻るが)

 

 10年以上前か?仲間の中学生の娘さんが、事故で亡くなった時、

ある事情で、葬儀の前夜から、急に声がかかり、段取りに、寄ったが

その時、涙した。

 仲間から「泣いてもらうために呼んだんではない」

親戚でなく自分たちで、送ってやりたい。ここの皆は疲れてる。よろしく。

という葬儀を経験したが。。。

 

テレビ映画や、頑張っているドキメンタリーで、

割と簡単に涙する時があるのに、今回涙しなかったと思う。

 

家族の誰が涙したか・・涙したら「悲しんでいる」証(あかし)・・というわけでは無いが、・・・・。

 

今、あたらめて「家で看取るということ」・・というNHKの番組を見直して、

あんまり・・俺は、哀しんでいないな・・何か、良くないコトと思う今日だ。

 

俺が死ぬとき、涙する人が、存在するような・・生き方を、したいな。